「もめん」〜ふとんとわたの歴史〜


現在では「ふとん」という言葉が当たり前のように使われていますが今のような四角の敷きふとん、掛けふとんというスタイルは歴史としてはそんなに古くありません。しかも木綿などがふとんとして使われるようになったのは江戸時代からなのです。 歴史をお話する前にまず「布団」と「蒲団」の違いをご存知ですか、もともとは水辺に生える蒲穂の茎を使って作った円座(座禅用)を意味していたという説と蒲団の団の字が元々は團という字を使っていたのですがこの團という字は「色々なものを集めて丸くした」という意味をもっているので実は茎ではなく先端のふわふわした部分を指しているのではないかなど色々説があります。しかしいずれにせよ蒲団というのが最初に使われて、「布団」というのは麻布(あさぬの)の布を取った当て字といわれています。

                                   

人類が織物というものを発明したのは約1万年前の新石器時代の頃です。この頃の生地や原料は色々説がありますがやはり獣皮などが主だったようです。綿でいうとインドが今から5000年以上前にすでに綿織機を使っていたといわれます。 日本では綿よりも絹の方が歴史的に古く、中国の特産品である絹を西アジアや ヨーロッパに広めたいわゆるシルクロードを経て日本にも入ってきたと思われます。 「魏志倭人伝」には「桑を植え蚕をかい絹をつむぎ」というような内容のことが書かれています。この卑弥呼時代にはすでに絹織りの技術が取り入れられていました。この頃からすでに絹は貴重なものであったため、庶民は麻布(あさぬの)で作った布などを着て生活していたので冬になると寒さによる死者が相当多かったといわれています。

                                   

民俗学者で有名な柳田国男氏が書いた「木綿以前の事」(1939年)という本の中で は昔の人は天然に対する抵抗力が強かったので素肌に麻を着て厳寒を過ごしていたと書かれている通りこの頃の衣類は獣皮や麻などをほぐしたものを中に入れて使っていました。この頃にはまだ木綿というものは存在していなく「わた」といえばまだ絹の事を指していたのです。  日本に綿が入ってきたのは延暦18年(799年)夏に一人の崑崙人(こんろんじん) と云う褐色の肌をした若者(インド人説)が三河国(愛知県)に綿の種を持って漂着したのが最初です。「日本後記」には漂着の様子が細かく書かれています。 崑崙人はその後 当地の寺に住居して綿花の栽培を村人に教え、やがて勅令によって紀伊 淡路、伊予、土佐、讃岐、大宰府などの土地に蒔いたといわれています。今の愛知県西尾市天竹村には彼を奉る天竹神社があります。(この神社には私も行きましたので後日記載します。)しかし綿の栽培方法は決して簡単なものではないので一時期は衰退していきます。それでも中には細々と栽培を続けていたところもあり、例えば三河地方産は後に知多木綿として発達しました。

                                   

綿が再来したのは16世紀中期の天文時代あたりです。この頃の綿は国内栽培ではなくいわゆる中国や韓国からの輸入が主でした。 この 頃から朝鮮半島からの輸入が活発になり、やがて中国からも輸入が 行われ栽培が再び各地に広まりました。 さて綿が蒲団にどのように 使われていくようになったかというと室町時代にはまだ綿を使った寝具 はありませんが身分によって違いはあるにせよ畳をひいて着物で寝る ような姿が通常になってきました。
そして安土桃山時代になると「夜着 (よぎ)」が登場したといわれます。
若い方は知らないと思いますが夜 着というのは今で言う掛け蒲団に あたるものです。形は、着物に近くて 衿や袖があります。この中に綿 をいれたのがわたふとんとしてのデビューです。それを寝るときに身体 の上に掛けていたのです。ちなみにこの頃蒲団といえば、敷蒲団のこ とを指していました。夜着は今でもふとん屋さんなどで売っているかいまきに似ています。
                                  
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夜着(よぎ):京都風俗博物館所蔵


話が少しそれますが遊女が使っていた敷蒲団の枚数で遊女の格が決まっていたと 言われます。資料などを見ると確かに格の上の遊女は3枚ぐらい敷いていました。 しかし、この頃はまだ綿はかなりの贅沢品であったため貧困の人たちは藁や莚で寝ていました。 夜着が徐々に四角い掛け蒲団に変わるのは江戸時代の中期頃といわれています。 前述の通り江戸時代の初期は蒲団というのはまだ敷蒲団のことを指していました。 しかし江戸時代の中期に松尾芭蕉の弟子である服部嵐雪が京都の東山について 「ふとん着て ねたる姿や 東山」という俳句を詠んでいます 。つまり敷蒲団をかけた ような山という意味なのですがこういう表現を使っているということは、このあたりからふとんを着る文化つまり四角い掛蒲団も出現しはじめていたのではないかと思われます。 この頃はまだ綿ふとんというのは贅沢品であり明治時代になってもごく一部の庶民しか 使えませんでした。この頃の庶民はまだむしろ、夜ぶすま(草などをつめたもの)、麻袋や 紙のふすまなどを使っていたのです。 いずれにせよ「木綿」が登場したことによって寝具だけでなく衣類にも大きな変化が訪れたことだけは間違いありません。 次回はおたふくわたの歴史を書きたいと思います。



(参考文献)
「綿と木綿の歴史」(御茶ノ水書房)武部善人著
「綿團要務」(日本農業全書15)大蔵永常著
「知多もめん」(知多市歴史民俗博物館)木綿の歴史と綿打ちについて 丹羽正行著
「木綿以前の事」(創元社)柳田國男著 
おたふくわた 九代目 原田浩太郎 


  

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