●「財界九州」10月号 
  九州の商人〜追想 おたふくわた(下)〜より


 前回に引き続き、武野要子先生(福岡大学名誉教授・兵庫大学教授)が執筆した「財界九州」10月号から九州の商人〜追想 おたふくわた(下)〜の抜粋をご紹介します。
(先日来、問い合わせがいくつかありましたが、この雑誌は九州以外でも購入することが出来ます。大きい書店にもあるようですが、財界九州に依頼し直接郵送してもらうのが一番確実かと思います。連絡先は(株)財界九州 092-715-1221です。)

追想 おたふくわた(下) 

福岡大学名誉教授・兵庫大学教授 武野 要子

  新生「おたふくわた」
兵庫大学教授 武野 要子氏
  昭和2(1927)年になっていわゆる金融恐慌が広がるや、ハニーファイバーは外販用にアメリカ製オートバイを購入、販売員は満州、台湾、朝鮮方面へと販路を開拓した。
 個人経営であった原田製綿所が、株式会社おたふくわたと法人化されたのもこのころのことである。資本金50万円、従業員260名であった。今日「昭和4年3月31日現在 資産負債内訳表 おたふくわた株式会社」が、ハニーファイバーに残っている。これによれば、当時のハニーファイバーの資産から負債、お得意様、取引先まで全部わかる大変貴重な史料である。ちなみに得意先の一部を上げれば、岩田屋、伊佐商店、奥村商店、渕上呉服店、光安糸店...。
 同9(1934)年ごろの同社の店頭の模様を写真で見れば、外販用自転車は姿を消し2輪、3輪のオートバイに完全に切り替わっている。
 同10年の新興熊本大博覧会の宣伝隊に、商標おたふくの人形が出場。無料休憩所にも"おたふくわた"の字と標識が高くそびえている。まだ当時としてはめずらしい"おたふくわた"のネオンサインが東中洲の夜景を美しく彩った。
 昭和17(1942)年3代忠右衛門が急死。平五郎が4代目社長となった。第2次大戦の終戦前夜のことであった。戦争の終決でハニーファイバーは海外資産のすべてを失った。いわば創業以来最大の難関にさしかかったのである。戦中ハニーファイバーは、仁川、奉天に工場を、京城、牡丹江、大連などに出張所を持っていたのである。
 私的お話で恐縮ですが、わたくしは昭和25(1950)年に九州大学経済学部に入学した。16〜7年住んだ長崎は、文字通りの国際都市として、南蛮風、オランダ風、中国風、日本(江戸、大阪、堺、京都)の文化がほどよくミックスされ、その独特の魅力的な雰囲気は、わたくしの心をしっかりと捉えた。
そんな長崎から福博へ来てまず感じたことは"やぼったい"ということだった。
 しかし一方、わたくしは福博に長崎とは違った長崎が持たないものを感じ取った。それは都市としてのどっしりとした構えであった。長崎は日本列島のどんずまりだが、福博は東に中国、近畿地方、南には熊本、鹿児島を控え、その真ん中にで〜んと座っているという感じがした。わたくしは自分の将来と福博の街を重ね合わせて考え、感じ取っていたのである。家庭教師のバイトに行っていた北九州も、政府の傾斜生産方式の影響で沸きに沸いていた。
 いまに生きる家憲と社是
 同じころ起きた糸ヘン景気を皮切りに、ハニーファイバーも本格操業を修復。戦時中に興した合成樹脂のオタライトも本格的な化学部門として充実させた。昭和24(1949)年発刊の「福岡商工名鑑」の広告には、
 おたふく産業株式会社
おたふく化学工業株式会社
が並列し、合成樹脂及び成型業の化学工業に力点が置かれていることがわかる。この方針は5代目社長原田憲明氏の事業に引き継がれていった。
=対談「21世紀に向かって」=と題する、(財)流通システム開発センター研究員・工藤正敏氏と憲明社長の対談で、社長は「4本柱の戦略」として第1に寝具、第2に不織布、第3に合成成型材料(オタライト)、第4に保全サービス部門を上げている。固定資産や高齢人材の再活用、活性化は企業構造変革の大きな課題である。ビルの開発、事業施設の管理と清掃、保険業務を全部合わせた保全サービスを指しているようだ。「(1)〜(3)の柱を4本目の柱が担うとなれば、戦略的にも期待ができる。もっとも4本目は福岡の地域性とすこぶる関係がありますね」というのは工藤氏の意見。社長は「第4番目の柱こそ歴代当主の"積善の徳"の21世紀的実行だ」と応じている。そこでハニーファイバーの家憲、社是をひもといてみよう。初代原田忠右衛門は次のように言う。

「 家憲
たとえ四角なる豆腐を丸ろく切るが如き加工と雖も必ず物を値打ちのあるよう精製しこれを世にほどこすをもって家業となすべく候
仕事場は職人と道具とを雨露より守る傘の如くにてあれば軽やかなるほど宜しく金に糸目をつけぬは傘にあらず傘の内にこそあるべく候
明治拾年
 初代 原田忠右衛門 」

「 三者鼎立
企業は出資者と従業員と消費者の三本の柱によって支えられる
どの一本が短くとも企業は傾く
  社 長 」

  5代目憲明社長の急死後、敬介社長、豊也社長が経営を引き継ぎ、着物研究家の毛利ゆきこや、デザイナーの君島一郎とのデザイン提携など、新しい展開を試みられた。が、残念ながら豊也社長の時に、寝具製造、販売部門から撤退。故憲明社長の妻允子(ちかこ)氏が社長に就任。その後不動産賃貸業は順調に進んでいる。原田浩太郎氏-先月の本誌の冒頭に書いた電話の主-は、現在同社専務取締役。浩太郎氏は不動産業のみではあきたらないようだ。浩太郎氏が目指すのは、新規事業かさもなくば木綿わたの再生か...。21世紀の福博が、浩太郎氏のようなフレッシュな感覚を必要としているのは間違いないようだ。

次回は父と仕事仲間だった和田哲の会長・和田亮介様との出会いについて書きたいと思います。
おたふくわた 九代目 原田浩太郎     
 

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